三輪素麺の歴史

日本の手延素麺 発祥の地 素麺の元祖

大和国一之宮三輪明神 大神神社・イメージ
大和国一之宮三輪明神 大神神社
(映像制作:奈良教育大学)

日本の麺食文化のルーツを遡れば、そうめんに至り、そうめんの歴史を遡れば、大和の国の三輪(奈良県桜井市)で生まれた手延べそうめんに至ります。
いまから千三百余年を遡る昔のこと。日本最古の神社、三輪山の大神神社で、ご神孫・大田田根子の子孫で八二七年に三輪族の氏上にも任ぜられた狭井久佐の次男穀主朝臣が飢饉と疫病に苦しむ民の救済を祈願したところ、神の啓示を賜りました。仰せのままに肥沃な三輪の里に小麦を撒き、その実りを水車の石臼で粉に挽き、癒しの湧き水でこね延ばして糸状にしたものが、そうめんの起源と伝えられています。
そののち、三輪素麺はお伊勢参りの途中で訪れた人々を魅了し、手延べの製法も播州(兵庫県)、小豆島、島原へと伝わり、日本を代表する伝統食となりました。

日本の素麺の伝播に関する資料 日本の素麺の伝播に関する資料

神事と宮中の深い関わり

大神神社と神事

毎年2月5日にはその年の素麺相場をご神前で占う神事『卜定祭(ぼくじょうさい)』が執り行われます。その結果は今でも三輪素麺の初取引の参考にされています。
夏の終わりには、年中行事を締めくくる感謝祭も境内で行われ、一年の営みを無事に過ごすことができた喜びを「そうめん踊り」に表わし、ご神前へ奉納されます。

大神神社と神事・イメージ

宮中言葉「おぞろ」

もともと素麺は索餅(サクベイ)と言われ、宮中において儀式や饗宴に珍重されていたことは、平安時代以降の公卿の日記や女官たちの手記によって知られており、元日の宴会にも饗せられていました。
室町時代には女官たちが素麺のことを「おぞろ」と呼び、七夕の行事に素麺が饗せられていました。今も由緒ある門跡寺院等では「おぞろ」と呼ぶことがあります。「おぞろ」は素麺を一本の箸で掬い取り、折りたたむように重ねるのが作法です。

「おぞろ」・イメージ

天皇家への献上

当組合の三輪素麺が天皇家への献上品として承った歴史は古く、昭和天皇による桜井市へのご訪問や、素麺発祥の地として三輪素麺製造工程などのご高覧もされました。
毎年5月には『 三輪の緒環 』を天皇皇后両陛下をはじめ各宮家へ献上の栄誉を賜っております。

天皇家への献上・イメージ

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